信州上田…田舎暮らしの宿チセ(仮) 開業目指してます

信州上田移住者がゲストハウス開業を目指しながらゆるい日常を書いてます

終戦記念日…私が聴いたおじいちゃんの戦争

8月15日は毎年、終戦記念日ですね…今年で終戦73年目ですが年々、戦争を知る方々は減っています。
私の母方の曾お祖父さん、お爺さんは既に亡くなっていて私は会った事はないですが母から聴いたおじいちゃんの戦争体験をあえて戦争を知らない私が書きます。
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て、言っても又聞きなんで正確では無いのでご了承ください…私の母方の曾お祖父さんは第一次、第二次世界大戦に参加しましたが軍の艦船乗りだったらしいのでほぼ語らずに終戦後まもなく交通事故で亡くなられたらしいです。 惜しい限りです。
母方のおじいちゃんは元は愛媛県の魚屋の産まれらしのですが詳し事はわかりませんが終戦間ぎわの満州国へ出兵したらしいです。
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そこで主に警備と開拓要員で働いていて終戦をむかえて抑留されたのですが私のおじいちゃんがいた部隊は若い兵隊さんばかりの部隊だったのでこのまま強制労働で死ぬか逃亡して日本へ帰国するかの二択で会議し逃亡の道を選んだらしいです。
そして、10数人で逃亡したらしいのですがすぐきずかれ敵兵に追いかけられ撃たれたらしいです。
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一緒に逃げた方々ほぼ全員亡くなられたらしいですがおじいちゃんは撃たれたのが手だけそして返り血をあびていたため死んでる…もしくは助からないと判断されたため助かったらしいです…敵兵の銃口が自分にむけられた時は死を覚悟したらしいです。
その後、何日も歩き港行きの列車に飛び乗り、港につき船で舞鶴へ帰国したらいのですが無一文…そして、愛媛の家にも連絡がつかなかったため仕事を転々とし敦賀へ流れ着き…おばちゃんと結婚したらしいです。 最後は病気で亡くなりましたが最後の最後に敬礼をし息を引き取ったらしいです。
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私が知るおじいちゃんの戦争は以上です…正確ではないですが大変な思いを経験なさったのは十分つたわりました。
今の平和を当たり前に思わずこの日だけでも鎮魂の思いを持ち祈りを捧げます。
読んでいただきありがとうございました。
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